大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和62年(ネ)1121号 判決

控訴人

湊商事株式会社

右代表者代表取締役

伊藤八郎

右訴訟代理人弁護士

立石邦男

吉田忠司

中村覚

被控訴人

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

町田弘文

清住碩量

沢田健二

右補助参加人

株式会社ミツク

右代表者代表取締役

高島司郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。別紙物件目録(一)記載の土地が控訴人の所有であることを確認する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文第一項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、原判決事実欄記載のとおりである(ただし、原判決二枚目裏二行目及び四行目の「以下」の次にいずれも「その現地を」を挿入し、七行目の「三子」を「ミ子」と、同五枚目表末行から同裏一行目までを「本件土地(一)は、東京都目黒区中根一丁目二二六番一の土地(以下、地番のみによって略称する。付近の他の土地についても同様である。)の一部ではなく、後記2(一)のとおり被控訴人所有の道路敷であった。」と、同九枚目裏七行目の「とおり」を「どおり」とそれぞれ改め、同表一〇行目の「及び」の次の「、」を削り、同二三枚目の冒頭から末尾までを別紙物件目録のとおりに訂正する。)。

証拠関係は、原審及び当審記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一請求原因1(承継取得)の主張について

1  控訴人は、本件土地(一)はもと青木彦太郎が所有し、その後同人から新精一が買い受け、その相続人である新光雄ら四名から控訴人が買い受けた旨主張し、〈証拠〉によると、青木は、昭和二七年四月一一日その所有にかかる二二六番一の土地を新精一に売り渡し、昭和四〇年六月七日同人の死亡によりこれを相続した新ミ子、新光雄、新泰雄及び新英夫(以下「新光雄ら四名」という。)が、昭和四二年三月一四日これを控訴人に売り渡した事実を認めることができるが、本件土地(一)が二二六番一の土地に含まれ、青木の所有であったことについてはこれを認めるに足りる証拠がない。かえって、〈証拠〉によれば、昭和六年一〇月一〇日に設立された衾第三耕地整理組合は、耕地整理法(明治四二年法律第三〇号)に基づき、本件土地(一)及びその付近の土地につき耕地整理を施行することになり、昭和七年六月一日に工事に着手して、昭和九年八月三一日これを完了し、昭和一六年四月一五日に換地処分をしたこと、本件土地(一)は、右耕地整理により道路敷とされ、耕地整理法一一条二項により国有地に編入された土地であること、右換地処分により青木が取得した二二六番の土地一四三坪は、本件土地(一)の西側に隣接する土地であり、同人は、昭和二七年四月九日そのうち本件土地(二)の部分を同番一の土地九四坪、その余の部分を同番二の土地四九坪として分筆したうえ、同月一一日前示のとおり同番一を新精一に売り渡したものであることが認められるのであって、控訴人の右承継取得の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二請求原因2(取得時効)の主張について

1  二〇年の取得時効の主張について

〈証拠〉を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  本件土地(一)の東側には、衾第三耕地整理組合が設立される以前から、当時の東京府荏原群碑衾町の町道が南北に通じていて、公共の用に供されていた。右町道は、昭和七年一〇月一日に同町が東京市に編入されたのに伴い、東京市道(以下「旧市道」ともいう。)となった。同組合はこの市道を幅員六、〇五間(約一一メートル)の道路に拡幅し、そのため本件土地(一)も前示のとおりその道路敷とされたのであるが、同組合の整理施行地区の範囲が二二六番一の土地の南側に隣接する二二七番の土地までであり、さらにその南側は地区外の土地となっていたため、旧市道が拡幅された南端も二二七番地先までで(以下同番地先の拡幅部分を「本件土地(一)南側隣地」という。)、その南方は従前の道幅のままに残された。本件土地(一)、(二)の北側は、東西に通じている東京府道第二二号線(現在の通称目黒通り。以下便宜上「目黒通り」という。)を隔てて、目黒区宮前町となり、拡幅後の右市道のうち北方から宮前町までの部分については、昭和一七年五月二三日東京府告示第五九三号により、府県道第六六号駒沢池上線の一部として供用の開始が告示されたが、本件土地(一)は右告示に含まれていなかった。もっとも、本件土地(一)も当時既に駒沢池上線の一部として予定はされていたのであり、東京都知事は、昭和四〇年四月一日、本件土地(一)を含む都道四二六号上馬奥沢線の路線の認定、区域の決定、供用の開始をし、それらの告示をした。

(二)  本件土地(二)は、同組合の耕地整理の工事が完了した当時には、旧市道及び目黒通りよりも一段高い土地で、本件土地(一)は旧市道の法面(いわゆる逆法)となっていたが、戦時中に本件土地(二)には本件土地(一)にもかけて防火用水が掘られ、新精一が買い受けた昭和二七年四月一一日当時には、既にそれが埋め戻されて、本件土地(一)や目黒通りと同じ高さの土地となり、また、原判決別紙図面記載の(ア)、(イ)の各点を結ぶ直線(以下「(ア)(イ)線」という。)及びこれを南に延長した線上に側溝が存在していた。しかし、二二七番の土地は、耕地整理の工事完了当時から現在に至るまで引続き一段高いままで、本件土地(一)南側隣地は道路の法面の状態となっており、二二七番の土地を買い受けて昭和二五年一二月一二日にその所有権移転登記を経由した上野民治は、本件土地(一)南側隣地が道路敷であることを知悉していて、その頃居宅を新築した際にもこれに手をつけなかった。二二六番の所有者であった青木も、前記のとおり二二六番一の土地を九四坪として分筆しており、この面積は本件土地(二)の実測面積にほぼ見合うものであって、青木も本件土地(一)を私有地ではなく、道路敷の一部であると認識し、対応していた。

(三)  新精一は、買受け後間もなく、本件土地(一)と本件土地(二)とを一体の敷地として居宅二棟を建て、(ア)(イ)線から約三〇センチメートル西側に引っ込めたところに板塀を設けた。

ところで、公共用財産については、それが公共の用に供されている限り取得時効は成立せず、ただ、長年の間事実上公の目的に供されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることもなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合には、黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効の成立が妨げられないものとなるというべきであり、このような黙示的公用廃止の状況は、時効期間中のいずれかの時点においてはじめて生じたというだけでは足りず、それが自主占有開始の時までに生じていたのでなければ取得時効は成立しないものと解すべきである。本件の場合、本件土地(一)は、前示供用開始の告示に含まれておらず、旧市道について拡幅に伴う区域変更等の措置が明示的にとられたことを明らかにする証拠もないのであって、新精一の占有開始当時、旧道路法(大正八年法律第五八号)にいう道路として公共用財産となっていたものとまでは未だ認めることができない。しかし、本件土地(一)は、府道駒沢池上線の一部として予定されていた旧市道が耕地整理事業によって拡幅されることになり、その拡幅部分の道路敷として被控訴人の所有とされたもの、すなわち公共用財産とすることを予定してそれに備えた工事を施行し、ただ、府県道とする認定あるいは拡幅にともなう市道区域の変更、供用の開始の手続だけが未了の状態の土地であったのであり、しかも、既に公共の用に供されていた旧市道の法面ともなっていたのであって、このような土地については、公共用財産に準じて原則として取得時効が成立しないものと解すべきである。戦時中に本件土地(一)にもかけて防火用水が掘られたとはいっても、それは緊急的一時的なものであって、その土地本来の用法を変更する態のものでないことはいうまでもない。また、新精一の占有開始当時においても、防火用水の埋戻しにより本件土地(一)と本件土地(二)とが同一平面の土地となり、両土地の境界にではなく、かえって本件土地(一)の東側境界の(ア)(イ)線のところに側溝があったとの事情があるとはいえ、旧市道は従前の道幅の部分が道路として引続き公共の用に供されていて、本件土地(一)南側隣地は依然として法面の状況のままであって、本件土地(一)の部分は右埋戻しの関係から道路敷であることが多少不明確な状況になっていたというにすぎず、他に黙示的にもせよ本件土地(一)を道路敷とすることが中止されたことを示すような事情の存在を認めうる証拠はない。このような前記認定の事実関係のもとにおいては、公共用財産の取得時効に関する前示法理の趣旨に準じて、本件土地(一)につき新精一の右占有の開始を根拠として取得時効の成立を認めることはできないものというべきである。

したがって、控訴人の二〇年の取得時効の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

2  一〇年の取得時効の主張について

新精一が本件土地(一)及び(二)を一体の敷地として居宅を建築したことは前認定のとおりであり、〈証拠〉によると、控訴人が前示のとおり昭和四二年三月一四日二二六番一の土地を買い受けた当時には、かつて(ア)(イ)線上にあった前記側溝にかわり、同線上に東京都の設置した道路の縁石が存在したこと、控訴人は、右買受けにあたり、新精一の相続人である新光雄ら四名の売主の側から福田測量社の福田保が作成した実測図(甲第四号証)を受領したが、右実測図には二二六番一の土地として本件土地(一)及び(二)の土地が記載されており、売主側はこの実測図に基づいて売買土地の範囲は本件土地(一)及び(二)であると説明し、売買契約書(甲第三号証)も、売買物件の面積を「公簿310.7438平方米(94坪)、実測344.309平方米(104.15坪)」と記載して作成され、控訴人は二二六番一の土地として本件土地(一)及び(二)を買い受けたものであること、控訴人は、同年五月一五日新光雄ら四名から地上建物を撤去し更地とした本件土地(一)及び(二)の引渡を受けてその自主占有を開始し、その後右両土地にまたがりガソリンスタドを建設したことが認められる。

そこで、控訴人の右本件土地(一)の占有開始の時に過失がなかったかどうかについて検討する。

右認定の事実によれば、二二六番一の土地は公簿面積94坪に対し10.15坪ものいわゆる縄延びがあるものとして売買されたことになるが、宅地においてこのように約一割もの縄延びがあることは必ずしも常態とはいえず、ことに本件のように耕地整理が施行された土地にあってはむしろ異常ともいうべきものであるところ、前示甲第七号証及び原本の存在及び成立に争いのない甲第六号証によれば、右売買当時法務局に備え付けられていた二二六番一の土地の登記簿の表題部には、昭和一七年二月二日受付をもって、所在地番、地目、面積につき耕地整理による登記のなされていることが認められるから(甲第七号証によれば、右の登記のある登記簿が閉鎖されたのは昭和四二年一二月一三日であることが認められる。)、登記簿を調査すれば耕地整理の施行された土地であることを容易に知ることができた筈で、公簿面積と実測面積との相違になんらかの疑問を抱いてしかるべきである。更にまた、前認定のとおり二二七番の土地の所有者である上野は本件土地(一)南側隣地には手をつけておらず、〈証拠〉によれば、当時右土地と二二七番の土地との境界即ち(エ)(ウ)線を南に延長した線上にはブロック塀も存在していたことが認められるところ、住宅街において道路と居宅の敷地との間にこのような空地を残すことは通常あまりみかけないことであり、原審証人仲野喜孝の証言によれば、右上野にその点を尋ね、本件土地(一)南側隣地が道路の法地で私有地ではないことを容易に知りえたことが認められるから、もし同人にこれを尋ねれば、本件土地(一)もまた道路敷ではないかとの強い疑念が生じたものと考えられる(現に、同証言によれば、仲野は上野に尋ねたことを端緒として本件土地(一)が控訴人の所有であることを知るに至ったことが認められる。)。そして、前示乙第一一号証の一ないし三によれば、本件土地(一)付近の公図を精査すると、二二六番一の土地の東側に接する道路の幅が二二七番地先までは広く、それより南側では狭くなっていることが明らかとなることが認められ、これを現地の状況に照らし合わせると、本件土地(一)は、二二六番一の土地の一部ではなく、道路敷であることを知ることができたものというべきである。

このように右売買の目的物件の範囲については買主である控訴人において疑念を抱いてしかるべき事情があり、しかもこれに対する前記のような調査は、いずれも通常一般になし得る調査であって、このような調査をすれば本件土地(一)は二二六番一の土地ではなく道路敷であることを知ることができたものというべきであるのに、控訴人において上野に前記の点について尋ねたり(買受け後に同人に挨拶をしたとしてもそれだけでは必要な調査をしたとはいえない。)、付近の公図を調査した事実を認め得る証拠はなく、売主側から受け取った実測図と売主側の説明から漫然と売買により本件土地(一)の所有権をも取得したものと軽信した控訴人には、売主が本件土地(一)及び(二)を一体として建物の敷地に利用し、(ア)(イ)線上に道路の縁石が設置されていたとの事情を考慮しても、なお占有の始めに過失があったものといわざるを得ない。

よって、控訴人の一〇年の取得時効の主張は、理由がない。

三以上のとおりであって、控訴人の本訴請求を失当として棄却した原判決は相当であるから、本件控訴はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹野達 裁判官河合治夫 裁判官平田浩は、病気のため署名押印することができない。裁判長裁判官丹野達)

別紙物件目録

東京都目黒区中根一丁目二二六番一

宅地 343.84平方メートル

(登記簿上310.74平方メートル)のうち、

(一) 原判決末尾添付図面の(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)、(ア)の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分

38.89平方メートル

(二) 同図面の(エ)、(ウ)、(オ)、(カ)、(キ)、(ク)、(エ)の各点を順次直線で結んだ範囲内の部分

304.95平方メートル

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例